ボランティアをする人の目的
ボランティアとは
自から社会奉仕をする人や活動のことで・・・。
自分の自由な時間などを犠牲にして他者に尽くすということです。
「私、ボランティアをしています」
ボランティアをしたい人の動機と理由は、
これを言う人と言わない人ととで違います。
①ボランティアをしていると言う人の動機と理由
他者からの承認欲求を満たす
他人から賞賛を浴びて注目され、
褒められたいという自身の承認欲求を満たすのが目的。
承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、
「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求であり、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれる。
自己犠牲は快感
自己犠牲は快感←(心理学科卒の友人曰く)。
それに酔いしれている可能性。
②ボランティアをしていると言わない人の動機と理由
純粋に人を助けたい
自分を高めたい。
人が喜んでくれることが自身の喜び。
他人の役に立てることが嬉しい。
地域などの平和を心から願っている。
これは報酬など受け取らないスーパーボランティア・尾畠春夫さんのような人です。尾畠春夫さんは、講演、CM、受賞全て辞退されたことからも他者からの賞賛が目的ではないと分ります。
奉仕をする動機と理由は何なのか
奉仕や寄付はしていますと、自ら発信しないのが正解。
「それなら奉仕も寄付も出来ないよ~」と言う人は、じゃあ、それをする動機と理由は何なのか?ってことです。
『どんな動機・理由でも、人が助かれば良いじゃない?』ってつぶやいたあなた、今からそのわけを説明しますね。
動機が承認欲求の場合のもんだい点
この動機は、自分や家族に甚大な影響をあたえます。
家庭での問題
まず、ボランティアを理由に、
自分や家族、家庭のことは、基本あまりやらなくなります。
「ボランティアへ行く」を、現実逃避の口実にします。
家族も、一見善良に見える活動に文句を言うわけにもいかず、困っていても文句を言えません。
ボランティア団体で問題
奉仕活動をする=団体に所属することになります。
- 団体につきものは、『役員』
会長、副会長、書記、会計 これです
- 活動につきものは、『活動費』
会議する場所代、材料費、交通費などなど… ※飲食代は、当然実費
生々しい話ですが、団体に所属すればこれらは会員全員で担う役割分担です。
つまり、動機が何であれ団体と活動を支える責任が会員に生じるのです。
純粋な動機でボランティアを始めたなら、
何の抵抗もなく、役員も引きうけるし、会費も支払うでしょう。
しかし、動機が自己満足の場合はボランティア活動をしているだけで満足ですから、
「奉仕してあげるのに、どうして私が犠牲をはらわなきゃならないのよ」
「役員までできないし、会費なんて支払えません」
ーーーとなるわけです。
意味が分かりませんよね(笑)
ウツになる人がいる問題
ボランティア活動をバリバリしていたメンバーが急に来なくなりました。
何度かドタキャンされて、メンバーも怒って困っていました。
(無償奉仕も仕事と同じく急に休まれると人数不足になり大変です!)
後日その人と会った時に、「無理をしてウツになった、今は就職活動をしている」と聞きました。
自分の意思では本来やりたくないことを、欲求を満たす目的で無理矢理していたから心の病気になったんです。
問題が噴出してくる
こういうことも全部引っくるめて『ボランティア』、これらの問題はじわじわと何年もかけて噴出してきます。嫌なことから逃げる目的なら、本末転倒ってことです。
正しい動機は?
動機・理由が純粋ならこういう行動になるはず
- 家族にさえもボランティアだと口外しない
- 「サークル仲間と遊んでくる」と言って行く
- 家族の為に尽くし、やるべきことはやる
順番は、自分の生活→家庭→仕事(学業)がきちんと出来てからの→ボランティア。
奉仕を言い訳に現実から逃げないこと。
他にも、欲ではなく自分のためにやるのならOK。
「良い経験をしたいから」
「評価を上げたいから」
「友達がいっぱいできて楽しいから」
これなら『自分の為にやってます!』って、始めから正直に言っちゃってますからね。
自分の成長にもなるし、社会の役にも立って、一石二鳥。
ボランティアをやめる
自己犠牲の快感をえるため、羨望を集めるための自己満足や、
ボランティアをしているというネームバリューが欲しいだけなら、
ボランティアはやめましょう
(=労働するなら対価はもらおう)
動機が不純だったり歪んでいたりすると、
損得勘定にも発展し、心を病む場合も。
やるのなら、それなりの覚悟と人格が必要なんです。
最後に
ボランティアに限らず、他にネットとかでも承認欲求を満たす為にクタクタになっている人を見かけます。
TwitterやInstagramの『いいね』や、フォロワー数、コメントも無理せずに。自分がやりたい時だけにしましょう。
他人の賞賛に振り回されず、全て自らの意思で動くってことです。
自分の気持ちを最優先とすれば、自分への賞賛なんて別にzeroでもいいはずです。
認められたい、褒められたい承認欲求が強く賞賛を渇望する人は、欲望の容器が大きすぎなんです(ドラム缶くらい)。
どれだけついでも容器が満たされず、ただ疲れるだけ。満たすことばかり考えていないで、欲望という容器を小さくしてみたらってことです(コップくらい)。
もっと、楽して良い。他者から認められることに全力を注ぎすぎ。
その時間、人の為ではなく自分が本当にやりたいことをやるんです。
それがいつの間にか、人の役に立っているはずです。