快適 こげ豆のブログ

無気欲は楽しい

親切は本当に優しいのか、おせっかいではないのか

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親切は本当に優しいのか?

 私は、年齢40代の女性です。

若い頃は人に親切にしたい性格でした。
今はそうでもありません^_^;
何故変わったのかと言うと、ある体験でいろいろ考えたからです。
その体験がこちらです。
 

もう親切は止めようと思った体験

 
15年位前ですが、神社参り中に7歳位の女の子が1人で泣いるのを見ました。
心配になり、2~3分、私はただ見つめていました。
ガヤガヤしていて、大勢の参拝客は誰一人見向きもしません。
近くに詰所があり、警備員さんもいましたが、気付いていないようでした。
 
私は、放っておけなくて、
「どうしたの?お母さんがいないの?大丈夫?」
と、声を掛けました。
女の子は(つ_;*)グスングスンと、ただ泣いているだけで喋らない。
 
周りを見渡しても身内もいないようです。
仕方ないので、3m先のすぐ近くの詰所へ連れて行こうと、
その子の手を取り、私は1歩を踏み出しました。
 
そこに、女の子のお母さんが急に現れて、
怒った表情で私を凝視し、凄い形相で睨みつけて、
黙って、泣いているその子の手を引っ張って
私の目の前から、あっという間に2人は立ち去っていきました。
フンッ(`Д´)ヽ∟(;_;)   エッ( ºΔº ;)←私
 
 
たった5分間位の出来事だったのですが、
いろいろ考えて、なかなか忘れられなかったです。
誘拐犯と間違えられてショック( ´ : ω : ` )で。
そして、15年も経ちましたが、今でも鮮明に覚えています。
 
でも、考え考えた結果、私が悪かったんだと思います。
後悔はしてませんが、
『あのお母さんに申し訳ないことをしたな~』
と今は心から思っています。
あの子ももう大人ですねー。
 

私の配慮不足が原因だった 

一見、私は親切で迷子の女の子を助けてあげようとしたように見えますが、
そこにはいろんな可能性があります。
 
①母親は、我が儘を言う我が子の為に躾をしていた
②母親に、ここで待っていてねと言われたけど寂しくなって泣いていた
③本当に迷子であっても、私が警備員さんに声を掛ければ良かった
 
つまり、私は迷子と決めつけていましたが、
女の子は迷子ではなかったかもしれないということです。
それと、私の認識が甘く行動が間違っていたということです。
 

この出来事で学んだこと

私には困っているように見える人が
本当は困っていない場合がある
 
一見して`自分が思うことが全て`と思いがちですが、
事実は、ほとんどがそうではないのです。
自分の思い込みには、自分の感情が入り込み、誤った認識で行動してしまう。
泣いている子=迷子 なんて、短絡思考の極み!
 
私はこのような経験から、現在は、
「人のためにしてあげる」は大抵自己満足であると思っています。
それは、自分が思う親切を、相手が欲していないってこと。
 
「ア・・・ありがとう(^_^;)」(←こんな感じになる)。
 

分かりやすい例え 

例えば、あなたが、
「子どもが大学生で仕送りのお金がなくって、こんなに困っている」
と友達に切実に語ったとします。
あなたは、ただ友達に聞いてほしかっただけです。
 
ところが、次の日その友達が家にピンポ~ンとやって来て、
「これ、貸してあげる(゚∀゚)」
と、100万円差し出してきました。
友達は、『良いことをした~』と思い込んで(自己満足)気持ち良さそうです。
 
どうします?
困りませんか?
「お金貸して」なんて、あなたは一言も言っていません。
親切で言ってくれているから、断りにくい。
 
例えが極端かもしれませんが、
自己満足も一つ間違うと相手に失礼だということです。
相手には相手の立場や、生き方、考え方があるということを
忘れてはいけないように思います。
 

最後に

つまり、相手に親切にすることが全てではなく、
相手を尊重することが大事なのではないでしょうか。
相手を尊重していると、自分自身も尊重することが出来るようになってきます。
 
と言いつつ、まだ少しはお節介おばさんの私です(~_~;)
迷子?と思ったら、また声を掛けてしまうかも・・・。
 
「人も自分も尊重できる」
というのが私の人生の目標ですね(^^;
 
今回はこの辺で~。