快適 こげ豆のブログ

無気欲は楽しい

アンパンの子にはアンパンの人生がある

アンパンの人生

いきなりですが。

 

お父さんとお母さんがメロンパンだとします。

生まれてくる子どももメロンパンだと、家族はハッピーですよね。

では、もしもアンパンが生まれてきたらどうでしょうか?

 

メロンパンのお父さんとお母さんは、必死に子どもが

メロンパンになるように教育すると思うんです。

それが親心ってものですよね。

 

 アンパンがメロンパンになるのは無理があって。

そもそも、子どもは

「私は、アンパンでいいんだけど・・・」

と考えてるわけです。

でも、メロンパンの両親は

「中にあんこが入っているなんてダメダメ!出しなさいっ!」

「頭の表面は固くなくっちゃ!」

「どうしてそんなに黒っぽいの!?」 と、

自分たちと違うところを責め立てて、

挙句の果てに子どものあんこを

両親が出してしまったりして。

 

子どもも、どうして自分は両親と違うのか悩み、

メロンパンでないことが悪いことなんだと思い始め…。

 

アンパンがメロンパンになれるはずもなく。

あんこを出されてしぼんでしまったコッペパンは(アンパンだったのに)

しぼんだまま、誰にも顧みられず寂しい人生を歩むのでした。

 

 zero豆作 『アンパンの人生』

 
・・・・なんじゃこれ(;・∀・)

 

効率の良い子育てと生き方

私が言いたいのは、

アンパンとして生まれてきたのなら、

最初から立派なアンパン目指した方が効率が良かったし、

アンパンの子もメロンパンの親も

楽に生きられたんじゃないの?ってことなんです。

両親と違うのは、当たり前。

人格が違うんですから。

 

両親も最初からアンパンを育てているんだって分かっていたら

こんなことにはならなかったんじゃないでしょうか?

自分の子どもが、アンパンなのかジャムパンなのかクリームパンなのか

よく観察してみて、中身を出さないであげてほしいなと。

 

そして、本来アンパンなのにメロンパンに育てられた人も、

高級あんこを仕入れてきて、自分で詰め直せば、

立派な高級アンパンに生まれ変われるかもしれません。

生きている限り、間に合います!!

だって本当はアンパンなんだもん。

 

親が開き直って、諦めて、

『この子はメロンパンじゃなかったんだ・・・!』

って気づいた時に、やっとアンパンの子どもの居場所が出来るんです。

それはつまり、親が子どものそのまんまを認め、

受け入れたってことですねー。

 

メロンパン父母が関わらずとも、放っておけば、

予定通り、アンパンの子どもは勝手に立派なアンパンに成長します。

 

むしろ、下手に関わると、両親もストレス爆発でしょうし、

アンパンの子どもも、自分が一体何パンなのか分からないまま

人生を送ってしまうかもしれません。

 

「メロンパンの私たちには理解出来ねーよ」って笑いながら、

遠くからアンパンの子の成長を見守るくらいが丁度良いと思うんです。

 

 

※ この記事は、2015年7月9日Yahoo!ブログにzero豆がUPした記事を改稿しました

一冊の本が及ぼす影響

 

 一冊の本から受ける影響

例えばここに「感謝して運気UP」

というタイトルの一冊の本があるとします。

※注:そんな本は存在しません

 

本を書いている作家は、タイトルを主軸として、

・何故自分がそれを強く推奨しているのか

・どんな効果が得られるのか

・取り入れた人の実際の変化

など、徹底的に解明していきます。

 

一冊の本の内容はテーマに沿って

終始一貫していないといけませんし、

矛盾があったら大変です。

つまり、とんでもなく偏(カタヨ)った内容が展開されます。

だから、読んでいるとどこか無理があるな~と思うことがあります。

 

例えば、「感謝して運気UP」(←何故かこだわる)。
を徹底的に掘り下げると、

 

「感謝」って文字を紙に1,000回書きましょう

 

なんてことが本に出てくる訳です。

作家は、何百ページもの原稿を埋める為かもしれません。

ネタに困ったということも考えられます。

 

でも、読者は素直にやってみる人もいると思うんです。 

信じて、これを実際にやってみても別に良いんですけど・・・

それをやる動機はなんなんでしょうか。

 本に書いてあったから?

 運気をUPさせたいから?

結局、理由も曖昧で続かないんです。

やったけどほぼ意味がなかったってことにも。

 

人には矛盾がある

人には矛盾があり、素人が書くブログは、

どこかにブレがあるものです。

 

そして、いろんな人の意見をランダムに読めます。

だから、ブログを読んでいる人は視野が広がり、

一つの考えに固執してしまうリスクも少ないように思います。

 

ブレないプロの作家の本を手に取った場合、

 「作家側には事情がある」

ということを汲んで読んだ方がいいってことですね。

 

偏ることの危険性 砂糖の害

f:id:kandsoramame:20191026141713j:plain

1つの考えに偏(カタヨ)るとどうなるのかを説明します。

数年前に見かけた、あるネット記事について。
 

主婦が書いたとは思えないプロのようなブログで、

「砂糖の害について」4〜5ページほど。
『子どもが砂糖を摂取すると、暴れたり、落ち着きがなくなる』
『全く摂らないのではないけれど、砂糖を控えましょう』
というような内容でした。 


これがね、もしネットの記事ではなく一冊の本に300ページ、
砂糖の害について徹底的に書いてあったなら、
私なんてすぐに洗脳されてしまったと思うんです。
 
過去のスーパー素直な私(自分で言うな!)なら、
即、「砂糖廃止宣言」を家族にしていたでしょう。
 
そんな人、あまりいないですか(^-^;?
中には、1つの考えに固執してしまう人がいるってことです。
 
過去の私が、これを実行するとしたら、
・子どもからお菓子を取り上げて
・料理に砂糖じゃなく蜂蜜を使い
・「砂糖は食べちゃ駄目よ!」って子どもに言う
・・・ってとこかしら?
 
いやいやいや、そんな人いないよ~って今思われましたか?
ここにいます!(←私だ!)
 
子どもにしたら、
「じゃあ、給食は?」
「よその家では、お菓子食べてもいいの?」
 
ってなりますよね?そこに、
「砂糖は家で食べてはいけないが、外では良い」という
親の都合によるブレが生じてきます。
 
書き手には信念がありますが、
読み手である親には信念などありません。
「だって、本に書いてあったから」

・・・理由はそれだけです。
 
子どもを甘く見てはいけません。
純粋だから、筋が通っていないことに、不信感を抱くかもしれません。
 
よその子は、皆砂糖(お菓子)を食べている→社会では善
親は、砂糖(お菓子)を食べるのは駄目だと言う→家庭では悪
  善悪の混乱・・・。
 
砂糖を摂取せずに子どもが落ち着いた代わりに、
親の信頼を失うことになりかねないってことです。
 
子どもに禁止するなら、親も食べれないんですよ?
だいたい、砂糖を食べない生活って、楽しいですか?

 

一冊の本とブログの違い

  私が言いたいのは、この記事はブログであり、
主婦が書いたもので良かったな~ってことです。
これを、○○大学の教授が本にまとめちゃったら怖いなと。
受け取る側が、鵜呑みにしてしまうリスクがあります。 
 
これが、一冊の本に潜む怖いところです。
その点、ブログなら賛否両論の意見が付随され、
考えて、自分に落とし込む余地があります。
 
この主婦のブログ記事に対しても反響が大きかった分、
共感の意見が数多くある中で、厳しい意見もありました。
 
1人だけの意見を読むのか、社会全体の意見を読むのか。
そこが、一冊の本とネットワークの違いですね。
 

最後に

ちなみに、こちらのブログも、
私個人の考え方を綴っています。
そして、皆さんもそうだと思います。
そこには責任もなければ、押しつけもありません。
良かったら、私の考えも読んでみて~くらいのレベルです。
 
 他ブロガーの意見を読むのは、面白く学ぶところも多いです。
 
大事なのは、いろんな人の意見を読んだり聞いたりして、
視野を広げるってことだと、私は思います。
 

 この記事はYahoo!ブログ2014-12-13掲載した記事を更新しました